私の青春 カンボジア陸路旅
2021年5月 コロナ騒ぎ真っ只中。
カンボジアの友人 チャンヤさんから1枚の写真が送られてきました。
写真だけで何もコメントはなく、葬儀のようで遺影が誰だか分かりません。
まさかと思い確認したら、上倉さん。
今でも信じられません。
遺骨は日本大使館が管理し、日本のご親族に受け渡されたとの事。
日本のご親族の連絡先が分からなく、せめて葬儀が行われた寺へ手を合わせに。
そして葬儀、お別れの会を発起していただいたLidaさんにお礼が言いたい。
私の職歴㉖ ~恩人~今から約24年前、私がカンボジア滞在時の一番の楽しみがタイに行くこと。
その頃のカンボジア・シェムリアップは何もなく、
チョコレートが食べたくてもどこにも売っていない。
カンボジアのローカル食堂では、伝統調味料のハエが料理の中に大量に入り食欲減退。
1か月で10kg痩せたほど。
バンコクもしくは、タイ側国境アランヤプラテートへは2-3ヵ月に1回行っていました。
シェムリアップ~バンコク・ドンムアン空港へは飛行機で1時間。
それだと値段も高額になるし、旅本来の楽しみが分からない。
陸路なら旅の醍醐味が味わえる。
当初、シェムリアップからタイの国境ポイペトまで、
ピックアップトラックで舗装なし悪路での約8時間。
ピックアップトラックの定員は、もうこれ以上乗れない限界からさらに詰め込む。
運転席列には4人。股にギアを跨ぎ、
通常物置の後部座席は人が乗らない造りでずが、無理やり5人詰め込みます。
荷台には豚、鶏、人、荷物をこれ以上載せれない所からさらに上積み。
1mmも隙間がなくなればやっと出発。
途中に食堂、ガソリンスタンドはもちろん、トイレという概念がないので地雷に気を付けてその辺で。
必ず数か所タイヤが泥にハマり、全員で押さないとならない。
ポイペトに着いた頃には泥だらけ。
ズボンのポケットに物を入れたら最後。足が血まみれに。
ボックスタバコを入れていたら、箱の突起部分が足に擦れ、
ビッチビチで足はもちろん、手も1cmも動かせない為、ポケットの箱を動かすことができない。
カンボジアを思い出すたびに、過酷な悪路旅が脳裏に浮かびます。
それも年々整備され、ポイペトのカジノでは新たなホテル。
道路も広く整備、バスも運行され、今では2時間半で快適行けるようになりました。
この陸路旅は私の青春そのもの。
何十年ぶりかに陸路旅へ。
私の職歴⑬ ~エンジョイ カンボジア!~